2001年アメリカ同時多発テロが起きた当時のアフガニスタン。
髪を切り“少年”として生きなければならなかった11歳の少女パヴァーナの物語。

※顔は同じ
娘がなかなか助けに来ない
『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』で有名なカートゥーン・サルーン(スタジオ)の次回作は、2001年アメリカ同時多発テロが起きた当時のアフガニスタンです。
極度の男性社会で、生きていくため“少年”に変装した少女パヴァーナが、タリバンに捕まった父を助けるべく奔走します。
そう、今回も
娘がなかなか助けに来ない映画です。
以前、『ロング・ウェイ・ノース -地球のてっぺん-』では、孫がなかなか助けに来なかったせいで、おじいちゃんがアイス・スタチュー(氷像)になってしまいましたが、今作ではパヴァーナ父がどんな目に遭うのでしょうか。
これは楽しみですねえ。
女性蔑視の見本市
タリバン政権下という時節柄、これでもかと辛い出来事が起こります。息するように女性蔑視が繰り広げられる。
・女性だけで外に出ることは禁止
・夫との歳の差が日本とブラジル
・殴る蹴るなどの暴行は当たり前
そんな状況の中、唯一の男性であるパヴァーナの父親がタリバンに連れて行かれてしまいます。女性だけでは外に出ることもできないので、買い物に行くことも、井戸の水を汲むことも、女性1人では出来ません。家事をするのは女性の仕事とされているのに、無理やん。
仕方ないので顔を隠して外に出るものの、タリバンに見つかり、袋叩きされることに……。
風景が美しすぎる
しかしながら、脚本上で起きているドラマとは別に、作品の美術、風景の見事さには驚きました。
“アートアニメーション”と呼ばれる作品群は大体見た目がおしゃれな作品が多いのですが、『ブレッドウィナー』の風景には、力があります。観るものを映画の世界に引きずり込む画面の力。
かつて宮崎パパが「アニメーションで最も重要なのは美術だ」と語ったのも頷けます。
まあ、美しすぎると言えないこともないですが。
『火垂るの墓』(高畑勲監督作品)並のリアリズムがあってもよかったのかな〜と。
そんなこと言うと怒られそうですけどね。
挿入されるカットアウトの方が良い
本作では2つのストーリーが交互に挿入されます。
タリバン政権下で少年のフリをして生きるパヴァーナの物語(本編)と、昔話の少年スリマン伝説。
タリバン政権下では、銃の扱い方といった命に直結する“技術”ばかりが注目され、物語などの“文化”は「役に立たない」と切り捨てられます。
パヴァーナの父親は教師で物語に詳しく、母親は物書きですから、パヴァーナの家の中だけは文化レベルが高かったので、国の教育レベルが低くても、家庭では教育が行き届いていました。
タリバンに連れて行かれた父親を助けるため、なんども恐ろしい目に遭うパヴァーナですが、彼女を助けたのは銃ではなく、父親から伝承された物語です。
パヴァーナの話がメインで、こっちは作画アニメーション。スリマンの童話はカットアウトの(切り絵を動かす)手法で制作されています。
このカットアウトが非常にエキゾチックで美しいのです。本編よりいい笑。
また、伝統的な作画の手法と、アートアニメ的なカットアウトが交互に来ることによって、いつでも新鮮な気持ちで観ることができます。
おまけ
ちょっと真面目な話をするので、気が乗らなかったら読み飛ばして下さい。
確かに文化は、銃口を向けられ生きるか死ぬか、という瀬戸際では役に立ちません(『ビルマの竪琴』では役立ってますが)。しかし、銃などの武力こそ、役立つ機会は限られていると言えます。
東日本大震災の時に、被災地にパチンコ屋ができて、大盛況になったことがあります。当時読んだ新聞記事では、批判的な論調で書かれていました。
私も当時は理解できませんでしたが、家と仕事を失い、避難所でのプライバシー皆無の生活を毎日強いられては、誰だってストレスが溜まるでしょう。そんな時こそ、文化が必要なのです。銃ではなく。
当時、周りの作家達の中には、震災の影響でブルーになって「美術なんて役に立たないんじゃないか」と作品が作れなくなる人もいました。ですが、実際は逆だったのだと思います。
おわりに
ところで、前回『アナベルと雪の女王2』を発表したのですが、混乱された方もいると思うので、ここで補足説明をいたします。
『アナベルと雪の女王2』は、これから不定期でやろうと思っている、「虚構シリーズ」という、架空の映画についていつも通りのテンションで記事を書く新シリーズの第1作目です。
つまり、ジェームズ・ワンはピクサーとは組んでいません。
悲しいことですが、これが現実なのです。
不定期なので、次は4月頭くらいかなと考えています。
虚構シリーズは紛らわしいので、【虚構シリーズ】と明記し、差別化したいと思います。
それでは、また。